こんにちは、あさです。
テレビ東京 月曜プレミア8にて
『世界!ニッポン行きたい人応援団』が放送され、
愛知県豊橋市の筆工房『筆の里 嵩山工房(すせこうぼう)』が紹介されました。
嵩山工房が作る豊橋筆は、江戸時代から200年以上の歴史があり、
墨含みが良く、すべるような書き味の、伝統工芸品です。
豊橋筆は、日本国内の高級筆約7割のシェアを誇っています。
嵩山工房の代表は、伝統工芸士の山崎亘弘さんで、
工房では筆の製作実演販売や、
筆づくりのワークショップもなさっているそうです。
今日は、そんな『筆の里 嵩山工房(すせこうぼう)』が作る豊橋筆の歴史や、
嵩山工房の最高級筆について、調べてみました!
筆の里 嵩山工房(すせこうぼう)が作る豊橋筆の歴史は?
豊橋筆の歴史は、約200年前の1804年(文化元年)にさかのぼります。
三河吉田藩(豊橋藩)の藩主が、京都の筆職人 鈴木甚左衛門を、
藩のために筆を作る御用筆匠として、招きました。
また吉田藩が財政難の折、下級武士の家では内職、副業として筆を作り、
土地も、山に囲まれており、筆の材料となるタヌキやイタチの毛、竹も豊富で、
入手しやすかったため、筆づくりは発展していきました。
明治に入ると、芳賀次郎吉が、従来の芯巻筆を改良して
水筆(現在の毛筆)の製法を広めました。
芳賀次郎吉の弟子、佐野重作は、
長さやかたさの異なる毛をまぜあわせる「練りまぜ」という技法を改良し、
14年間の修行ののちに、1878年(明治11年)に神明町で開業しました。
重作の筆は、画家、渡辺小華にも愛され、徐々にその真価が認められます。
弟子が20人ほどになったころ、
豊橋に立ち寄った奈良の墨商人の助言に基づき、東京方面にも販路を開きました。
1888年(明治21年)には、豊橋駅完成も幸いし、より各地方との取引も盛んになっていきました。
1902年(明治35年)には、豊橋毛筆製造組合が創立されました。
1911年(明治44年)、重作は60歳で亡くなりましたが、生涯の間に
豊橋毛筆製造組合の組合員が150人余を数えるまでに業界は隆盛し、
今日の豊橋筆の基礎が形作られました。
豊橋筆は、1976年(昭和51年)に
経済産業大臣の伝統的工芸品の指定を受けます。
現在、筆の生産量は、国内では、広島県熊野町に次いで2位であり、
書道家が用いる高級筆においては、国内7割のシェアを占め、
年間180万本が全国で販売されています。
嵩山工房の代表、山崎亘弘さんは、1942年豊橋に生まれ、
16歳ころから、筆づくりを親方の小川弘氏に師事され、
29歳ころ、自宅にて独立されます。
1994年、52歳頃、愛知県表彰優秀技能賞を受賞されます。
1996年、厳しい認定試験に合格し、伝統工芸士として認定されました。
1998年、『筆の里 嵩山工房』を開かれます。
技術、功績を称えられ、数々の賞を受賞されています。
2004年 県知事賞受賞
2008年 中部経済産業局長賞受賞
2009年 功労賞(伝統的工芸品産業功労者等経済産業大臣表彰)
2013年 瑞宝単光賞叙勲
最高級筆が気になる!
嵩山工房のホームページにて、販売している筆を見てみたところ、
以下の2点が、もっとも高級な筆かと思われました。
実際に店頭に行くと、さらにさまざまな筆がみられる可能性もありそうです。
上兼毛筆 4号(赤天尾) ¥7,000 (税込)
厳選された国産の赤天馬(馬)を使用した、高級品です。
黒天尾より滑らかで、羊毛を使用しているため、墨の持ちが良いそうです。
サイズ:穂径×穂長(約5×0.8cm)
原料(穂):赤天尾(馬),羊毛
主な用途:半紙2文字から4文字
コリンスキーイタチ筆 6号(オス)¥7,000 (税込)
ハルピン産のコリンスキー(イタチ)の毛を使用しています。
毛の色も良く、弾力があるそう。
サイズ:穂長×穂径(約3.9×0.6cm)
原料(穂):コリンスキーイタチ(オス)
主な用途:半紙8文字から12文字,仮名条幅
まとめ
豊橋筆は、吉田藩下級武士の家内制手工業を始めとし、
佐野重作などの職人により、さまざまな改良が加えられて、
徐々にその真価が全国に広まっていきました。
現在は、高級筆国内シェア7割となり、
伝統工芸品として、不動の地位を誇っています。
筆の穂首に使われる動物の毛は、1匹の動物から得られる毛はごく少なく、
職人の目と手だけで選り分けられており、
毛をある程度選別できるようになるまでに、5~6年かかるといわれています。
また、全部で36ある工程も、
現在もすべて手作業で行われています。
200年の長い歴史と、職人さんのひとつひとつ心のこもった手作業に、
豊橋筆という伝統工芸品の重みを感じます。
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