こんにちは、あさです。
NHKEテレ『こころの時代〜宗教・人生〜』にて、
ミャンマーの医師・作家のマ・ティーダさんが紹介されました。
ミャンマーの軍事独裁に抵抗する民主化運動に立ち上がり、
1993年から、インセイン刑務所にて約6年間の独房生活を送りました。
マ・ティーダさんの経歴や受賞歴、
家族について調べてみました。
ミャンマーの人権活動家、マ・ティーダさんの経歴や受賞歴は?
マ・ティーダは1966年、ビルマで生まれました。
1980年初頭、医学を学び、外科の学位を取得。
また、ティーダは「貧困など、身の回りで観察していることを共有したいので、
作家になりたいと思いました」と言い、
若い頃から執筆の才能を発揮しました。
執筆活動が始まって間もなく、彼女はビルマの激動する政治に巻き込まれることになりました。
1990年の総選挙でアウンサンスーチーの選挙運動助手としての職に就きました。
国民民主連盟NLDは選挙に勝ちましたが、
大敗した軍事政権は、国民議会の召集を拒否しつづけるばかりか、
NLDの国内での活動を禁止し、同党の幹部や議員らを多数投獄しました。
マ・ティーダはNLDとの関係のために、
1993年に「公共の安寧の侵害、非合法結社との接触、違法文献の配布」により
懲役20年を言い渡され、27歳から6年近く投獄されました。
そのほとんどの期間を、独房で過ごしました。
五時~五時半頃起床し、朝食は味のないお粥と、お湯が一杯。
昼食はご飯と野菜スープでした。
不衛生で、砂や虫なども混ざっており、
魚の切り身や卵は、週一回しか支給されません。
二週間に一度の両親との面会の時、食べ物を差し入れてもらいました。
食べ物は家族の差し入れが頼りでした。
1995年以来、子宮内膜症嚢胞の治療を受けられなかった結果、
1998年の末には重篤な子宮内膜症と診断されました。
本を読むことも許されなかったため、
膨大な時間を独房の中で過ごすことになり、
一日20時間、ヴィパッサナー瞑想をしていたということです。
瞑想をし、あるとき看守と話して、ティーダさんは『自由』とは私達の『視点』の問題であり、
たとえ刑務所にいても私達は自由を選ぶ事ができると、気づいたそうです。
刑務所にいた経験は、間違いなくティーダさんを変えたということでした。
獄中にいる間、Reebok Human Rights Award (1996)、
PEN / Barbara Goldsmith Freedom to Write Award (1996)など、
複数の国際人権賞を受賞しました。
また釈放された後、2016年「DisturbingthePeace」賞を受賞しました。
1999年、出所後に作家としての初めての著書『The Sunflower』をビルマ国内で発表。
2012年、『The Roadmap』、
2016年、『Prisoner of Conscience: My Steps Through Insein』を出版し、
46歳までに、ビルマ語と英語で9冊の本を出版しています。
2008~2009年、彼女はブラウン大学の国際作家プロジェクトフェロー、そして
ハーバード大学のラドクリフ高等研究所のフェローとして、アメリカに住んでいました。
現在は外科医・作家・人権活動家として活動し、
貧しい人々を無料で診察したり、
日本でも多くの講演活動を行ったりしています。
まとめ
マ・ティーダさんは、自らの壮絶な経験を活かして、
公演活動を行ったり、本を執筆したりされていて、
ミャンマーでは知識人として有名な方です。
良心の囚人として服役され、
獄中で大病を患い、生きて出られるか危惧されていたほどでしたが、
ヴィパッサナー瞑想によって獄中の生活を乗り越えられました。
マチルダさんの講演会に言ったり本を読んだりすることで、
今まで知らなかった貴重なお話を知ることができそうです。
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