こんにちは、あさです。
情熱大陸で、粟田建設 15代目の粟田純徳率いる
穴太(あのう)衆の石垣が特集されました。
この穴太州の石垣づくりの技は、野面積(のづらづみ)といわれる
自然の石をそのまま組み上げる技法のひとつです。
一度作ると、数百年もの間、地震にもびくともせず、
修理も組み直しも必要としない石垣です。
あまりにも頑丈すぎて、城や寺院の石垣を直す必要がないため、
仕事が減ってしまい、今は穴太衆の技を継ぐのは
粟田建設一軒となってしまいました。
日本ではなかな買い手のない、このすばらしい技術に、
いま海外から新しくオファーがあるとか。
そんな穴太衆の石垣について、調べてみました。
粟田純徳率いる穴太(あのう)衆の石垣はどこで見られる?
粟田純徳さんが第十五代頭を務める株式会社粟田建設は、
滋賀県大津市坂本にあります。
坂本には穴太衆の石垣が至る所に使われており、
街並みと一体化していて、
暮らしている人々は、とくに普段特別な技術だと認識することもないそう。
その他、穴太衆が、他の石工集団とともに作り上げたと言われる
城や寺院の石垣が、全国にはたくさんあります。
代表的なものが、織田信長、安土城の石垣です。
じつは、信長が比叡山延暦寺を焼き討ちにした際、
その石垣の堅牢さに驚き、
安土城の石垣に、比叡山近くの石工たちを集めて、
安土城の石垣を作らせたと言われているのです。
その後、その石工たちは穴太衆と呼ばれるようになり、
江戸城、大坂城はじめ、多くの城や寺院の石垣を手掛けるようになったとのこと。
粟田建設がある坂本は比叡山延暦寺の門前町であり、
比叡山の石垣は穴太衆が作ったとされるものが多くあります。
また、2014年粟田建設は、竹田城の石垣を修復しています。
今は、新しく城を作るということはなかなかないため、
また、比類なき頑丈さを誇るがために、修復の仕事もあまりないということですが、
いま海外などで、新しく穴太衆の石垣が注目されているということなんです。
海外のオファーはどこから?
2010年ごろから、穴太衆の石積みに感銘を受けたアーティスト、建築家からの依頼を受け、
海外でのワークショップや仕事に取り組まれているようです。
2014年には、アメリカのシアトルにて、日本庭園「クボタガーデン」からの依頼を受け、
石垣づくりのワークショップが行われました。
公募で集まった現地の市民の方々、約30名と、2週間ほどをかけて、石垣を完成させました。
現在は、見晴らし台として親しまれています。
2018年春には、アメリカ合衆国オレゴン州にある日本庭園
「ポートランド・ジャパニーズ・ガーデン」にて、
改修工事で高さ7メートル、総延長幅50メートルの石垣を完成させました。
アメリカテキサス州ダラスにて、時計メーカーロレックスの米国支社、
「ダラス・ロレックスタワー」を取り囲む石垣の建設を行われました。
日本国内でも、現代の建築と、穴太衆の石積みが、美しく調和しています。
滋賀県立大学のキャンパス内の庭、大津市にある「ピアザ淡海」の玄関などに、
穴太積みを見ることができます。
また、京都大学大学院の実験にて、コンクリートの1.5~2倍の強度があったという
恐るべき頑丈さから、新名神高速道路の護岸壁にも用いられています。
北海道では、コンクリートの川の護岸を、野面積みである穴太積みに変えて、
川を自然の状態に戻すことで、
魚が卵を産みやすくなり、その魚を取りに、狐が姿を現しているということもあるそうです。
まとめ
穴太積みでは、自然の石を用いるため、設計図やマニュアルなどはなく、
「石の声を聞き、石の心を知り、石が行きたいところに置け」と
伝えられているそうです。
コンクリートよりも強く、数百年もの間、崩れずに城を支え、
自然の石を使っているから、雑然としているように見えて、実は緻密な、穴太積み。
この技術を受けついているのは、もはや粟田建設のみとなってしまいましたが、
日本でも、この素晴らしい技術が見直されて、再び注目され、
また全国に広まったらいいなと思います。
今後の粟田純徳さんのご活躍を応援し、見守っていきたいと思います。
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